絵は、キリストを中心に、三人ずつ四つのグループが左右に並びます。
| 位置 | 人物 |
|---|---|
| 左端の三人 | バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ |
| 左から二組目 | ユダ、ペテロ、ヨハネ |
| 中央 | キリスト |
| 右から二組目 | トマス、大ヤコブ、フィリポ |
| 右端の三人 | マタイ、タダイ、シモン |
ユダは、キリストの左側、左から二組目の三人組の左端にいます。体を後ろに引き、影の中にいて、手に小さな袋を握っています。前に塩の器が倒れているとも言われ、不吉な兆しとされます。ペテロは手にナイフを持ち、ヨハネは目を伏せて静かに座っています。
この主題は、ギルランダイオ、ペルジーノ、ティントレット、ダリなど、多くの画家が描いています。それまでの作品では、ユダだけがテーブルの反対側に座り、ほかの使徒と区別されることが多くありました。レオナルドは、ユダを同じ側に座らせ、使徒の動きと感情で、場面を劇のように描きました。
ミラノの作品には、ジャンピエトリーノ、チェーザレ・ダ・セスト、アンドレア・ソラーリ、マルコ・ドッジョーノらの模写があります。壁画が傷んだ後、模写は、修復の大切な手がかりになりました。
壁や天井の線は、すべてキリストの右のこめかみあたりの一点に向かって集まります。この「消失点」の位置には、レオナルドが糸を張るために打った釘の穴が見つかっています。左右対称に近い構図と、三つの窓を背にした明るさが、視線を中央へ導きます。
場面は、キリストが「あなたがたの一人がわたしを裏切る」と告げた直後です。弟子たちはそれぞれ驚き、怒り、疑い、悲しみなどの反応を見せています。使徒どうしの身ぶりを追うと、15分の鑑賞が何倍にも豊かになります。
壁画の多くは、湿った漆喰に描くフレスコですが、レオナルドは乾いた壁の上に、テンペラで描く方法を選びました。時間をかけて描き直せ、深い陰影が表現できる反面、絵の具が壁に定着しにくくなりました。壁に含まれる湿気も重なり、レオナルドの存命中から剥がれが目立ったと言われます。
大きさは縦460cm、横880cmです。日本語の記事には、別の数字(420cm × 910cm)も見られますが、公式の案内では460cm × 880cmとされています。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1494〜1498年ごろ | ルドヴィコ・スフォルツァの依頼で制作 |
| 1510年ごろ | 剥がれが見え始めたとされる |
| 1652年 | キリストの足元あたりに出入口が切られ、その部分が失われる |
| 1796年 | ナポレオン軍の占領期、食堂が馬屋や武器庫に使われたと伝わる |
| 1943年8月 | 空襲で屋根が崩れるが、壁は土嚢で守られ、助かる |
| 1970年代後半〜1999年 | 約20年にわたる大規模な修復。以後は温度と湿度が管理された環境に |
修復の成果は評価と議論の両方を呼びましたが、現在の姿が、500年以上にわたる傷みと修復の積み重ねであることがわかります。世界遺産には1980年に、教会と修道院とともに登録されました。
徳島県の大塚国際美術館には、陶板で再現した「最後の晩餐」が展示されています。本物とは大きさや質感が違いますが、予習には役立ちます。ミラノの本物は、事前予約で見学します。予約方法をご覧ください。
新約聖書に記された、イエスが弟子たちとした最後の食事の場面がもとになっています。レオナルドの作品は、その場面を描いた絵画です。
1980年に、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会と修道院、その食堂の壁画が、ルネサンスの傑作として世界遺産に登録されました。
ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァです。教会と修道院を、一族の記念碑にしようとしました。
向かって左側の隣にいる、ヨハネとされています。女性だという説は、美術史の研究者に退けられています。
乾いた壁にテンペラで描いたため、絵の具が定着しにくく、湿気の影響も受けました。さらに、出入口の切り込み、戦争の被害など、さまざまな要因が重なりました。
約3年とされ、ゆっくり描くレオナルドとしては、早い完成だったと言われます。